2008年07月20日

サグラダ・ファミリア・Sagrada Familia

サグラダファミリア.jpg
究極の超高層ビルと言えば、
オレにとっては、コレだ。
サグラダファミリア 柱.jpgサグラダファミリア ステンドグラス.jpg


サグラダ・ファミリア(カタルーニャ語:Sagrada Familia)はスペイン、バルセロナに建設中の教会。サグラダ・ファミリアとは「聖家族」を意味する。正式名称はEl Temple Expiatori de la Sagrada Família(聖家族贖罪教会)。日本語では聖家族教会または神聖家族聖堂などと呼ばれる。ガウディの代表作の1つ。

目次 [非表示]
1 概要
2 脚注
3 関連項目
4 外部リンク



[編集] 概要
民間カトリック団体「サン・ホセ協会」が、貧しい人々のために聖家族に捧げる贖罪教会として建設を計画したものである。

初代建築家フランシスコ・ビリャールが無償で設計を引き受け、1882年3月19日に着工したが意見の対立から翌年に辞任。その後を引き継いで2代目建築家に任命されたのが、当時は未だ無名だったアントニ・ガウディである。以降、ガウディは設計を一から練り直し、1926年に亡くなるまでライフワークとしてサグラダ・ファミリアの設計・建築に取り組んだ。

ガウディは仔細な設計図を残しておらず、大型模型や、紐と錘を用いた実験道具を使って、構造を検討したとされる。それらを含め、弟子たちがガウディの構想に基づき作成した資料などは大部分がスペイン内戦などで消失してしまっている(模型も破片になってしまった)。この為、ガウディの死後、もはや忠実にガウディの構想通りとはならないこの建築物の建造を続けるべきかという議論があったが、職人による伝承や大まかな外観のデッサンなど残されたわずかな資料を元に、時代毎の建築家がガウディの設計構想を推測するといった形で現在も建設が行われている。北ファサード、イエスの誕生を表す東ファサード、イエスの受難を表す西ファサードはほぼ完成しているが本来は屋根がかかる予定であり、またイエスの栄光を表すメインファサードのある南側は未完成である。

東側の生誕のファサードでは、キリストの誕生から初めての説教を行うまでの逸話が彫刻によって表現されている。3つの門によって構成され、左門が父ヨセフ、中央門がイエス、右門が母マリアを象徴する。中央の門を構成する柱の土台には変わらないものの象徴として亀が彫刻され、中央の柱の土台にはりんごをくわえた蛇が彫刻されている。また、門の両脇には変化するものの象徴としてカメレオンが配置されている。中央門では、受胎告知、キリストの降誕、祝福をする天使、東方の三博士や羊飼い達などが彫られている。左門ではローマ兵による嬰児虐殺、家族のエジプトへの逃避、父ヨセフの大工道具などが彫られ、右門には母マリア、イエスの洗礼、父ヨセフの大工仕事を手伝うイエスなどが彫られている。

西側の受難のファサードには、イエスの最後の晩餐から磔刑、昇天までの有名な場面が彫刻されている。東側とは全く異なり、現代彫刻でイエスの受難が表現されており、左下の最後の晩餐から右上のイエスの埋葬まで「S」の字を逆になぞるように彫刻が配置されている。最後の晩餐→ペテロとローマ兵たち→ユダの接吻と裏切り→鞭打ちの刑→ペテロの否認→イエスの捕縛→ポンティウス・ピラトゥスと裁判→十字架を担ぐシモン→ゴルゴタの丘への道を行くイエスとイエスの顔を拭った聖布を持つヴェロニカ→イエスの脇腹を突くことになる槍を持つ騎兵ロンギヌス→賭博をするローマ兵→イエスの磔刑→イエスの埋葬と復活の象徴、そして鐘楼を渡す橋の中央に昇天するイエスが配置されている。

最近の予測では、完成は2256年前後と言われている。建設開始から長い年月が経っているため、建築と並行して修復も行われている。

2005年、建設途中ながら、外尾悦郎の手がけた生誕のファサードの部分がアントニ・ガウディの作品群としてユネスコの世界遺産に登録。
2006年、直下に高速鉄道AVEのトンネルを建設する計画が持ち上がり、教会側は地元自治体などにトンネル建設中止の働き掛けを要請している。この騒ぎで教会が市に建築許可を受けていないことが判明し、違法建築であることがわかった。[1]

[編集] 脚注
^ "サグラダ・ファミリア崩落の危険? 地下に鉄道トンネル (日本語)" 朝日新聞社: 2007-06-30. 2008年3月2日閲覧.

[編集] 関連項目
アントニ・ガウディの作品群
グエル公園
カサ・ミラ
カサ・バトリョ



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アントニ・ガウディ(カタルーニャ語:Antoni Plàcid Guillem Gaudí i Cornet, 1852年6月25日 - 1926年6月10日)は、スペイン、カタルーニャ出身の建築家。19世紀から20世紀にかけてモデルニスモ(アール・ヌーヴォー)期のバルセロナを中心に活動した。サグラダ・ファミリアをはじめとしたその作品はアントニ・ガウディの作品群としてユネスコの世界遺産に登録されている。スペイン語(カスティーリャ語)表記では、アントニオ・ガウディ(Antonio Plácido Guillermo Gaudí y Cornet)。

生涯

[編集] 誕生
アントニ・ガウディは、1852年6月25日午前9時半[1]、カタルーニャ州タラゴナ県に、フランセスク・ガウディ・イ・セラとその妻アントニア・クルネット[2]・イ・ベルトランの5人目の子として生まれた。一家の次女マリアと長男のフランセスクはそれぞれ幼くして亡くなったため、三男アントニは長女のローザ、次男のフランセスクとの3人姉弟の弟として成長した。

ガウディの出生地とされる場所には、レウス(Reus)とその近郊の村リウドムス(Riudoms)の2箇所がある。レウス説は、洗礼を受けた聖ペラ教会の台帳や学校に提出された書類に基づくものである。その一方で、ガウディはリウドムスのマス・デ・ラ・カルデレラ(Mas de la Calderera)で生まれ、洗礼をレウスで行なったとも伝えられている。[3]

ガウディ家の先祖は17世紀初頭にフランス、オーヴェルニュ地方からリウドムスへやってきた。リウドムス出身の父フランセスクは、銅板を加工して鍋や釜を作る銅細工師であり、「銅細工師の家」の意味をもつマス・デ・ラ・カルデレラは彼の仕事場であった。ガウディは父方・母方ともに銅細工職人という家系に生まれたことが、空間を把握するという、自らの建築家としての素地となったと考えていた。[4]

ガウディの生家(レウス)
マス・デ・ラ・カルデレラ(リウドムス)



[編集] 幼少時代
一家は母アントニアの出身地であるレウスで暮らした。ガウディはラファエル・パラウの小学校に入学、その後、フランセスク・バランゲー(フランシスコ・ベレンゲール)の学校に移った。[5]バランゲーには同じ名前をもつ息子がおり、のちにガウディの助手となる。

ガウディは6歳になるまでにリウマチにかかり、痛みのひどい時にはロバに乗って移動することもあった。病弱だったため、他の子どもたちと同じように遊ぶことは難しかったが、この頃にクリスマスの飾りのために紙細工で風変わりな家を作っていたという逸話がある。また、授業で鳥の翼は飛ぶためにあると説明した教師に対し、鶏は翼を走るために使っている、と反論したという話は、幼いガウディが自らの周囲にある物の造形をよく観察していたことを示すエピソードとして知られる。[6]後年、ガウディは自然を「常に開かれて、努めて読むのに適切な偉大な書物」であると語った。[7]

1863年、ガウディは貧しい家庭の子弟のために設立されたピアリスト修道会(Piarists)の学校に入学する。この学校でガウディはエドワルド・トダ・イ・グエイ(エドゥアルド・トダ・イ・グエル)とジュゼプ・リベラ・イ・サンス(ホセ・リベラ・イ・サンス)という友人を得る。トダの回想によれば、3人が発行した雑誌『エル・アルレキン』(「アルレッキーノ」の意)でガウディは挿絵を担当し、学校演劇の際には大道具や小道具を制作した。当時のガウディの絵にはレウス出身でイタリアで活躍した画家マリア・フォルトゥニ(Marià Fortuny)の影響が指摘されている。[8]

ガウディ、トダ、リベラの3人はレウスに近いタラゴナのローマ遺跡やポブレー修道院への小旅行もしている。特に当時、廃墟となっていたポブレー修道院については、トダが中心になって作った修復計画が立てられ、水彩で描かれた概略図が残っている。ポブレー修道院へガウディたちが足を運んだ時期については、1867年と1869年の2つの説がある。修復計画においてガウディが設計を担当したとも言われるが、実際にはトダが大半の作業を行ない、ガウディはそれに賛意を示したものと考えられている。[9]

タラゴナのローマ遺跡(世界遺産)と地中海
ポブレー修道院(世界遺産)



[編集] 学生時代
1873年から1877年の間、ガウディはバルセロナで建築を学んだ。学校では、歴史や経済、美学、哲学などにも関心を示したほか、ヴィオレ・ル・デュクの建築事典を友人から借りて熱心に読んでいたとも伝えられる。また、学業と並行していくつかの建築事務所で働き、バルセロナのシウタデラ公園やモンセラートの修道院の装飾にもかかわった。

1878年に建築士の資格を取得している。当時のバルセロナ建築学校校長で建築家のアリアス・ルジェン(エリアス・ロジェント、Elies Rogent)は、ガウディについて「彼が狂人なのか天才なのかはわからない、時が明らかにするだろう」と言ったと伝えられる。[10]

シウタデラ公園落水館(バルセロナ)
シウタデラ公園欄干の装飾
モンセラート修道院(モンセラート)



[編集] 前半生の主な作品
太字で示したものは、アントニ・ガウディの作品群として世界遺産に登録されている。

バルセロナのレアル広場の街灯(1878-1879年)
手袋屋のショーケース(1878年)
パリ万国博覧会に出品。この作品を通じて富豪エウセビオ・グエルの知遇を得た。
マタロの労働組合本部(1878-1882年)
ごく一部ではあるが、ガウディが初めて木材を用いて放物線状のデザインを表現した。
カサ・ビセンス(1883-1885年)
サンタンデールのエル・カプリッチョ(1883-1885年)
グエル別邸のパビリオンと厩舎(1884年)
サグラダ・ファミリアの地下聖堂(1884-1891年)
グエル邸(1886-1889年)
アストルガの司教館(1887-1893年)
テレサ学園(1889-1894年)
サグラダ・ファミリアのアプス外壁(1891-1893年)
レオンのボティネス邸(1891-1892年)
カサ・カルベット(1898-1900年)
コロニア・グエル教会堂(1898-1914年 未完)
グエル公園(1900-1914年)
カサ・バトリョ(1904-1906年)
カサ・ミラ(1905-1907年)
この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
レイアル広場の街灯(バルセロナ)
グエル公園
カサ・バトリョ
カサ・ミラ

ガウディの像



[編集] 後半生
ガウディは後半生を熱心なカトリック教徒として過した。1914年以降、彼は宗教関連以外の依頼を断り、サグラダ・ファミリアの建設に全精力を注いだ。しかし、親族や友人の相次ぐ死によるガウディの仕事の停滞とバルセロナ市が財政危機に見舞われたことによってサグラダ・ファミリアの建設は進まず、同時に進めていたコロニア・グエル教会堂の建設工事は未完のまま中止されてしまう。さらに1918年、パトロンのグエルが死去した。

この頃の不幸の連続がガウディを変えたと言われている。彼は取材を受けたり写真を撮られたりするのを嫌うようになり、サグラダ・ファミリアの作業に集中するようになった。

サグラダ・ファミリア
サグラダ・ファミリアのガウディのアトリエ(再現)



[編集] 死
1926年6月7日、ガウディはミサに向かう途中、路面電車に轢かれた。晩年身なりに気をつかわなかったため、浮浪者と間違われて手当てが遅れ、事故の3日後に73歳で息を引き取った。サグラダ・ファミリアは未完成で、現在も工事が続けられている。


[編集] 設計手法
彼の建築は曲線と細部の装飾を多用した、生物的な建築を得意とし、その独創的なデザインは多くの建築家や芸術家に影響を与えた。その設計手法は独自の構造力学的合理性と物語性に満ちた装飾の二つの側面より成立する。網状の糸に重りを数個取り付け、その網の描く形態を上下反転したものが、垂直加重に対する自然な構造形態だと考え、石工がしり込みするような建築を作らせた。工事中の建物の内部に入って自ら足場を取り除き、身を持って安全性を示そうともした。装飾は形式的なものに留まらず、植物・動物・怪物・人間などをリアルに表現した。

生前に描かれた設計図はスペイン内戦で焼失している。[11]彼は、設計段階で模型を重要視し、設計図をあまり描かなかった。設計図は役所に届ける必要最小限のものを描いたのみである。そのため彼の設計図はあまり残らず、また焼失を免れた数少ない資料を手がかりに、現在のサグラダ・ファミリア(聖家族教会)の工事は進められている。


[編集] 評価
ジョージ・オーウェル『カタロニア讃歌』
サルバドール・ダリ
ル・コルビュジエ
列福

[編集] 註
^ ファン・バセゴダ・ノネル『ガウディ』美術公論社、1992年、p. 25.
^ コルネットの表記もある。
^ バセゴダ、pp. 22-29.
^ ロベール・デシャルヌ、クロヴィス・プレヴォー『ガウディ――芸術的・宗教的ヴィジョン』鹿島出版会、1993年、p. 18.
^ ファン・ヘンスベルヘン『伝記ガウディ』文藝春秋、2003年、p. 28.
^ 鳥居徳敏『アントニオ・ガウディ』SD選書197、鹿島出版会、1985年、pp. 48-50.
^ 入江正之『ガウディの言葉』彰国社、1991年、p. 116.
^ ファン・ヘンスベルヘン、pp. 42-43.
^ 中山公男「略伝――人と作品」、中山・磯崎・粟津編『ガウディ全作品1 芸術と建築』六耀社、1984年、pp. 424-425.後年、外交官としてアフリカやアジアを訪れ、エジプト学にもかかわったトダは、実際にポブレー修道院の再建に取り組んだ。Wikipediaスペイン語版、Eduardo Toda y Güellを参照。
^ Capilla, Antoni (June 2005). "Ruta del Modernisme de Barcelona (カタルーニャ語)" Ruta del Modernisme. Institut Municipal del Paisatge Urbà i la Qualitat de Vida (IMPUiQV), Ajuntament de Barcelona. 2007年10月19日閲覧.もっとも、この逸話は信憑性に欠ける伝説とする意見もある。cf. 鳥居、p. 75。
^ 外尾悦郎『ガウディの伝言』光文社新書、2006年、pp. 33-34.

[編集] 参考文献
丹下敏明『ガウディの生涯』彰国社、1978年
中山公男・磯崎新・粟津潔編『ガウディ全作品1 芸術と建築』六耀社、1984年
中山公男・磯崎新・粟津潔編『ガウディ全作品2 解説と資料』六耀社、1984年
鳥居徳敏『アントニオ・ガウディ』SD選書197、鹿島出版会、1985年 ISBN 4306051978
サビエル・グエル(入江正之訳)『ガウディの世界』彰国社、1988年 ISBN 4395050808
鳥居徳敏『ガウディの建築』鹿島出版会、1987年 ISBN 4306042146
入江正之『ガウディの言葉』彰国社、1991年 ISBN 439500315X
赤地経夫・田澤耕『ガウディ建築入門』とんぼの本、新潮社、1992年 ISBN 4106020017
ファン・バセゴダ・ノネル(岡村多佳夫訳)『ガウディ』美術公論社、1992年 ISBN 4893301195
ロベール・デシャルヌ、クロヴィス・プレヴォー(池原義郎・菅谷孝子・上松佑二ほか訳)『ガウディ――芸術的・宗教的ヴィジョン』鹿島出版会、1993年 ISBN 4306043029
ヘイス・ファン・ヘンスベルヘン(野中邦子訳)『伝記ガウディ』文藝春秋、2003年 ISBN 4163594906
外尾悦郎『ガウディの伝言』光文社新書、2006年 ISBN 4334033644

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昔、アランパーソンスプロジェクトが、
ガウディというタイトルのアルバムを出していた。

アラン・パーソンズ・プロジェクト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション, 検索
アラン・パーソンズ・プロジェクト(The Alan Parsons Project)は、1976年にデビューしたイギリスのロック・バンド。アラン・パーソンズとエリック・ウルフソンの2人を中心として結成された。「アイ・ロボット」「アイ・イン・ザ・スカイ」「ドント・アンサー・ミー」などのヒット曲で知られる。略称はAPP。

ビートルズやピンク・フロイドなどの作品を手掛けてきたアビイ・ロード・スタジオのエンジニアであったアランが、エリックから「エドガー・アラン・ポーを題材にした作品を作らないか」という誘いを受けて、このプロジェクトを立ち上げた。その作品はファースト・アルバム『怪奇と幻想の物語〜エドガー・アラン・ポーの世界』としてリリースされ、グラミー賞にもノミネートされた。

その後もコンセプト・アルバムを主体とした作風で、コンスタントにアルバムを発表。プログレッシブ・ロックを彷彿とさせる壮大なスケールのサウンドと、ポップで聴きやすい音楽を展開し、英米で大きな成功を手に入れた。また、一切のライブ活動を行っていないことでも有名。

1986年までの活動期間中にアルバム10枚を発表しグループは解散したが、90年代以降のアランとエリックはそれぞれソロ活動を行っている。


[編集] アルバム・ディスコグラフィ
1976 怪奇と幻想の世界〜エドガー・アラン・ポーの世界  Tales of Mystery and Imagination - Edgar Allan Poe
1977 アイ・ロボット  I Robot
1978 ピラミッド  Pyramid
1979 イヴの肖像  Eve
1980 運命の切り札  The Turn of a Friendly Card
1982 アイ・イン・ザ・スカイ  Eye In The Sky
1984 アンモニア・アヴェニュー  Ammonia Avenue
1985 ヴァルチャー・カルチャー  Vulture Culture
1985 ステレオトミー  Stereotomy
1986 ガウディ  Gaudi

タグ:Sagrada Familia
posted by porsche at 00:41 | Comment(1) | TrackBack(2) | 日記
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Posted by ホテルマン at 2008年07月22日 14:13
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